覚醒などと言うと、ひどく特別なことと感じたり、宗教的な意味を考える方がおられるかも知れません。しかし、ここで言う覚醒とは、ごく普通のことの延長線上に考えられる意味なのです。
誰もが、我を忘れることがあります。いわゆる「無我」という状況でしょう。これだけなら誰もが経験しています。子どもでも「無我」夢中になって遊んだりします。大人でも、我を忘れるなどということがあります。つまり「無我」は、誰もが経験するごく普通のことなのです。
しかし、誰もが経験する「無我」の状態を、どの位持続するかといったことになると、話は別になります。
たとえば、普通だったら悶々としてしてしまうような出来事のあったとき。会社で上役に怒られたり、詐欺にあったり、病気になったり、恋人にふられたりしたとき。そんなときに「無我」の状態になることは、かなり難しいでしょう。
このようにとても難しいときにも無我の状態になるには、どうしたら良いのでしょうか。
その答えは、一つではないかも知れません。しかし、その中の有力な一つとして、内在者の統合があります。
自我状態の内在者チームが、ある程度以上大きくなると、とても自分の心が自由に扱えるようになります。人は、元々楽しく感じるようにできていて、赤ん坊などは、何も嫌なことがなければ微笑んでいます。その状態に近づくことができるので、内在者を十分に統合した人は、何もしないでいるときに、楽しい気持ちになるのです。逆に自我状態の内在者チームを分断されている人が、じっとしているだけでいらいらしてしまうのと比べると、対照的だと言えるでしょう。また、何かをしようとしたとき、内在者の統合が十分であれば、私たちの全人格がその気になってくれます。ですから、とても気持ちよく、集中して行うことができるのです。
すると、どうなるでしょうか。内在者が十分に統合され、自我状態の内在者チームが大きくなった人は、じっとしていても楽しく、何かをしようとすれば楽に効果的に行動でき、従って結果が良いことになります。内在者理論を元にした心理アドバイスが、ひたすら内在者の統合を目指すのは、このような理由からです。
そして、更に内在者の統合が進むと、ある境界線を境にして、急速に心の自由度が増すようになります。ここで「覚醒」と呼んでいるのは、この状態のことです。
もちろん、これも相対的な問題であって、悟りとか、何か超人的な特別な状態を表しているのではありません。この「覚醒」した状態について、簡単に特徴をまとめてみましょう。
(1)多くの内在者のイメージ情報が、自由に使える。
心が自由であるということです。その結果、色々な人々と上手に付き合えるようになります。大抵の人に対して、相手の話を理解でき、相手に分かりやすい話ができます。昔ながらの仙人のような人が、特別な言葉を使い難しい話をしている状態は、現代社会では「覚醒」しているとは、とても言えないのです。また、私たちの心の中には、男性の内在者と女性の内在者が、ほぼ半数ずつ存在することになりますので、それらと親和性がよいということは、男女差別がなくなるということです。
(2)社会への適応能力が増す。
これも当然の結果です。多くの内在者情報を自由に使えれば、それだけ他の人よりも、自由に色々な環境に適応できるはずです。現実的な智恵が働かずに、実社会に適応できないのに、高尚なことを考えて「覚醒」するなどということは、考えられません。
(3)毎日を楽しめる。
前述のように、内在者の統合が進んだ人は、大抵の状況では楽しめることになります。また、多くの内在者を受け入れているので、嫌いな人間はほとんどいないはずです。
(4)効果的な行動ができる。
自分の気持ちや目的を明確にできて、それを実現するための方法を効果的に行うことができるはずです。
このように書くと、良いことばかりのようです。実際、良いことばかりなのですが、ではなぜ、多くの人々は「覚醒」に向かわないのでしょうか。これにも明確な理由があるのです。
そのことについては、次章であきらかにします。