私たちは、早産で生まれてきました。多くの野生の動物とは異なり、私達人間は、生まれてきた後もしばらくは、為すすべを知らずに生きています。将来の心に当たる部分は、ほとんど白紙のままであり、あるのは、漠然とした欲求や感情なのです。その欲求や感情を、現実の世界に反映するためには、全面的に母親の力を借りなければなりません。人生の初期において母親は、私たちの心の代役をしてくれたわけです。
やがて、この漠然とした欲求や感情と外界からの刺激の間に、心が発生し、それと歩調を合わせるように意識もはっきりと現れてきます。
私たちは、日頃、心であるとか意識などという言葉を何気なく使い、そこに漠然とはじめから心や意識があったと感じています。しかしそのどちらも、はじめの段階では、はっきりと存在していたわけではなかったはずです。
心とは、何でしょうか。
どこからどこまでを心と呼ぶかは、人によって、あるいは場合によって変化するでしょう。ここでは生まれたときからあった漠然とした欲求や感情と、外界との間にある部分を考えます。(下図)この部分は、欲求や感情を外の世界に反映させ、私たちの生活を支えている精神構造です。このように限定すると、一般に世間で語られている色々な意味よりも、かなり狭い範囲になるかも知れません。この部分は、かなり具体的な感情を感じたり、物事を考えたりする部分です。生まれたときには持っていなかった機能を有するので、後天的に生じたものであると推察されます。
図1:心の発生
何に対しても理解力のなかった段階で、どのような形で必要な情報が蓄積され、機能を発揮できるようになるのでしょうか。まだまだ謎の多いところではありますが、可能な範囲で仮説を立て、推論を進めると、次のようになります。
あなたが生まれたころを想像して下さい。まず、目の開いていない段階では、音や体の感触が、その時の気分と融合され、イメージとして蓄積されます。まだ意味の存在しない段階のことなので、単なるイメージに過ぎません。目が開く時期になると、ここに映像のイメージが加わります。ちょうどビデオテープを回して、まったく意味なく周囲の状況を記録し続けるような具合になるでしょう。赤ん坊のあなたは、きょろきょろと周囲を眺めて、盛んに情報を吸収していきます。
しかし、このような無規則・無秩序なイメージ情報の蓄積だけで、その後、心が十分な働きをするとは考えにくいと思います。コンピュータの記憶装置の例を出すまでもなく、意味なく分類もされずに積み重ねられたデータは、使い道がないからです。
しかし、発生期の心にも、将来の機能を生み出す基本的な性質は、わずかではありますが、存在したのです。それは、同時に、あるいは短時間内に起きたことを、つなげて記録するという、心の最も基本的な性質です。もう少し詳しく言うなら、時間的・空間的につながった一連のイメージを、その時の気分と融合させ、関連させ、つなげて覚える働きです。
たとえば、晴れた空を見ていたときに、犬の鳴き声が聞こえたら、その2つを関連させて記憶するのです。木の机を見ると、平らであることと茶色であるという2つのイメージが、同時につなげられて記憶されます。
この「つなげる」という働きがなければ、私たちの心は、一生意味のないイメージ情報を蓄積するだけに終わったことでしょう。一見単純に思われるかも知れませんが、実は、この働きが重大な意味を持っているのです。あなたは、幼児用のベッドの上で、時にまどろみ、時にぱっちりと目覚め、色々なイメージをつなげてゆきます。
ここまでを整理すると、次の通りになります。